フェイントはなんのためにする?


やっぱりドリブルはベースとしてスキルアップが必要。
そして、自分で考えて自分で判断することが大事。
まさしく育成で大事にしなければならないことだと思う。

少年期の指導
IDA SOCCER NIGHT SCIENCE

 「フェイントは相手を抜くためじゃない。ゴールまでの選択肢を増やすためだ」
ジネディーヌ・ジダン

 子どもの指導にはちゃんと順番がある。ロングよりショート、キックよりパス、パスよりドリブル、これらは重要なプライオリティーの問題だ。だから子どものときにまずやらないといけないことは、できるだけボールを持って触ることであって、組織プレーの指導は一番後になる。
 私は中学一年くらいにはまだほとんど組織プレーは教えていない。あくまで自分で考えて、自分で判断することが大事なんだ。オーガナイズを教えちゃうと、それをやらないと指導者が使ってくれないから、子どもは絶対にドリブルをしなくなる。ドリブルをしなければ、プレーの選択肢は狭くなる。やっぱりスポーツは、実際に自分が主体的にやる中で、考える領域を自分自身でつくったり、広げていくことが楽しみにつながる。楽しくなかったらスポーツではないのだ

谷田-虎の穴・静学サッカーから引用


人生では補欠


【人はみんな人生では補欠だ】
部員が多く補欠が多いチームはダメだという人がいる。

それは間違い。

ダメなのは補欠が入学した瞬間ノーチャンスだというチーム。

つまりトップと同じかそれ以上に時間と熱かけてBチーム以下の選手に3年間迫り続けない、そんな発想がないチームだ。

決まった選手が練習もしないで駐車場係やっている。

エースを特別扱い、それ以外は物言わぬ労働者。

知ってるかい。

補欠が適当にあしらわれている環境にいると、レギュラーの心も腐っていくことを。

この時期の谷田。

「このまま終わっていいんかぁ!」とグラウンドに声が響き、「絶対負けねーぞ」とDチーム選手の怒鳴り声が続く。

Dチームの3年生が紅白戦でガチンコで「モモカン」くらい病院に担ぎ込まれる。

必要なのはそういう光景だ。

悲惨なのは、たとえば

広いピッチでレギュラーが練習し、そのわきのテニスコートの隅でもどきな練習する補欠の山。

たとえば

次々と部員が辞めていく環境。

次々と勉強もしないのに理由付けて引退していく光景。

「監督はじめあいつら俺の方は一度も見ない」と若者が逃げる理由をつける。

挑戦しきって挫折も小さな成功体験も

得ることができない環境こそがダメダメなんだ。

強いが人は育たない。

勝てるがうまくはならない。

サッカーがつまらない。

次のステージに行くものが次々生まれてこない。

50年後、部員の多くが、この3年間に励まされ「夢と、サッカーの本質だけは離さなかった」と自分の人生に誇り持っていうことができない。

実はそれこそが最悪なんだ。

谷田-虎の穴・静学サッカーより転載


努力


努力は必ず報われる。

形は違う形かもしれないけれど、それでも必ず血となり肉となる。いや、骨かな。

自覚と責任とやる気と楽しさの共有。


24h


才能くそくらえ
進化とか新しさは、
継続の上にしか存在しない。
自信のない者が、
過去を否定する。
意思のない者が、
誇張された絶望に襲われる。
頑張れないタレントが、
中抜けの栄光を夢想する。
あきらめない者は、
勝者の鉄則を離さない。
これはつぎにつながった
人生への努力だから。
この努力は、
サッカー終えても
消滅することのないものだから。
ここのサッカーに全力で挑む。
最後の最後まで。
俺たちはここで、
人より24時間を精一杯使って成長する。

Facebook 谷田-虎の穴・静学サッカーより転載

どれだけ自分の夢のために自分の時間を夢のための時間として使えるか。

1日24時間を夢のための時間として設計できるかが大切だなって思う。

ただ、ゆるい時間をダラダラと過ごすのはいけない。

自分の夢が大きければ大きいほど、自分がそのために費やす時間は多くなければ、夢は遠のいていくだろう。

24h

自分で考え、設計し夢を叶えてほしい。


人生とは


先日、ある方と飲みながら色んな話をさせていただいた。

本当に人生経験の塊で、自称「私の仕事は不可能を可能にすることです。」と言われている方です。

その方の話の中ですごく共感した言葉があります。

それは

「仕事とは想像とアイデア。人生とは出会いだよ」

すごくカッコいい言葉でした。

今回、御船町で社会福祉係のみなさんと出会い、御船町の人たちと出会い、その他のたくさんの人達と出会いました。

これが俺の人生なんだなと思った。

色んな人との出会いに感謝です。


幸せの連鎖


思い起こせば子育ては幸せの連鎖

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「子供は今が一番かわいいのよ」私はそう思えなかった。でも、時はもどらない

子ある日和の母

子供たち3人、次から次に生まれて、一人目に二人目のベビーカーをつかんで私との間を歩かせ、三人目をおんぶして歩いた。

近所の先輩ママさん達に口々に言われた。

「大変ね。でも、今が一番かわいいのよ。って言われても、そうは思えないだろうけど。私もそうだったし…」

そう、その時の私はとても「今が一番…」とは思えなかった。

ざあざあ降りの雨の日に、お友達の家に遊びに行きたい!!」と長男にだだをこねられて、傘をさしながらどうやって三人連れて行けばいいのと途方に暮れることもあった。

下り坂でやめなさいっていうのにボール遊びをして、落としたボールを追いかけて車がびゅんびゅん通る国道までまっしぐらに走る次男を、おんぶした長女の首がおかしくなるんじゃないかというほど全速力で走って止めに行ったり、

毎晩2時になるとタイマーをセットしたみたいに夜泣きが始まる長女を心底憎らしく思ったり…。

今年、長男は大学に入った。実家が遠方なため下宿している友達がたくさんできて、週の半分は帰ってこない。

次男は高校2年、週末も長期休みも部活でほとんど家に寄りつかない。

長女は中学2年、子供達の中では一番顔を見るのも話をするのも多いが、こちらも部活と友達づきあいで、家でお母さん、とまとわりついてくることはおねだりしたい物がある時以外はほとんどなくなった。

思春期の子供達との一触即発の事態を避けるために、言葉を選ぶのもだいぶうまくなってきたと思う。

「くそばばあ」と直に言われたことはないけれど、あ、今そう思ってるな、とわかることは何度もある。はずみでおまえ呼ばわりされることにも、もう慣れた。

せっかく作った夕飯に手を付けないで、カップラーメンの食べ残しがそのままテーブルに置いてあったり、おなかをすかせているからと超特急で作って、ごはんですよと呼んだ時には、時すでに遅し、熟睡して翌朝まで起きなかったり。

3人で泣いたり笑ったりけんかしたりする中、家族揃って賑やかに食卓を囲むことは、もうほとんどない。

何度もこぼされたおみそ汁。

おかずといっしょにぐちゃぐちゃにかきまぜておいて、もう食べられない、と残された見るのもいやになるお茶碗の中のご飯。

いくつコップを割っただろう、何度床を拭いただろう。素足でご飯粒を踏んづけた情けない感触は今でも思い出すとぞっとする。

だけど、今大人まで後一歩の子供達を見ながら、思い出すのはあのまん丸の鼻水とよだれでべとべとの顔、何度も握りしめた小さいえくぼのある手の感触ばかりだ。

あんなに毎日通った公園に、足を踏み入れなくなってもう何年経つだろうか。

一緒にお風呂に入って頭を洗ってやったのは、いつが最後だっただろうか。

もちろん、今だって一つ屋根の下、親子で暮らせば、楽しいことも嬉しいことも、あることはある。

でも、あんなに濃密でこれでもか、というぐらいの思い出が詰まった日々は、もう二度と来ないのだろう。

一人で自由に出歩くようになった今、電車の中で大泣きする赤ちゃんを必死であやしているお母さん、自転車の前と後ろに小さい子を乗せて、真っ赤な顔で自転車を
こいでいるお母さん達を見ていると、思わず「大変ね。でも、今が一番かわいいのよ」と声を掛けたくなる。

でも、きっと言わなくても大丈夫。お母さん達は今、思い出をしっかりストックしているところ。

どんなに必死でも、目が回るほど忙しくても、そんな時間のすき間を縫って、子供とお母さんの思い出はどんどんたまっていくのだ。
時はもどらない。

でも、思い出は消えずに、時を越えてずっと手元で輝き続ける。

時はもどらない。


指導の極意


指導の極意

何が悪い。ここがダメ。あいつはクズ。と口にすることは仕事じゃない。

悪いもダメも糞も味噌も、具体的にどうするかと、どうすればいいのかと実践する、こうしようというアプローチをする。

ダメなのは、指導の側の知恵と努力の問題と思わぬやつ。

あいつの可能性をどう引き出すか。

その答えと引き出しを持っていることが能力。

それこそが極意。

その深さが育成への自信を生む。

丸ごとな人を口で変えるなんておこがましいと、そう思っている人が指導者だ。

1日2時間の練習ではない、若者は24時間で成長することを理解している人間が指導者。

教えず、最後は自分で歩くことが、関わりの目標と心得ていることが指導者。

手練や戦術を教え込もうとしている知性のない指導見ると、反吐が出るのは指導者として合格。

負けの言い訳をしないのが、勝負のサッカー教える男。

目先の勝利に心を奪われないのが、育成指導者の免許証。

勝利は一瞬。育成は一生。

有名になりたくない人間が、真の育成指導者。

褒められればそりゃうれしいが、相対的評価に指導の価値を求めれば求めるものがぶれる。

だから、指導者はネットなど粘着しない。

井田勝通、川口修やオキタツ、岡島たちはネットは使わない。

谷田-虎の穴・静学サッカー(Facebook)より転載)


ほめて育てる


ほめて育てる
何を誉めるか 運動能力が高い・頭がよくいい成績と「才能」と「結果」を褒めると、必ず「失敗を恐れる」ようになる。
頑張った・毎日諦めない姿勢は素晴らしいと「苦難」と「挑戦」を誉めると、「チャレンジし、諦めない」事を求めるようになる。
では誰が誉めるか 日頃頑張っていない男は誉めても逆効果だ。
ヤンキーにカッコイイですと言われているのと同じだ。
彼の尊敬する人が誉めることが財産になる。
子を育てるのは大人が「尊敬される人生を歩む」こと。
その姿を見せる事。
器が大きく正義漢で男らしく勝負する父。
天使のように愛情深き思慮深い母。


…ハードルあげすぎた(爆笑)

谷田-虎の穴・静学サッカー(Facebook)より転載)


教えることの本質


”教える”ことの本質は”教えない”ことなのではないだろうかキックの蹴り方も、ドリブルの仕方も”教える”ものではないはずだ。人によって美醜の感覚は違う。どんなプレーを美しいと感じるか、醜いと感じるかは人それぞれ違う。それなのにキックは…

Posted by 大人になってから学ぶサッカーの本質 on 2015年12月1日


大丈夫だ


大丈夫だ サッカー人として・三浦知良 17日の日本対カンボジア戦は人工芝で行われ、「やりづらかった」という選手の反応を新聞で読んだ。そういった適応力が問われる状況では、最高のピッチも劣悪なピッチも、いろいろ経験していることが有利になるん…

Posted by 谷田-虎の穴・静学サッカー on 2015年11月23日

谷田-虎の穴・静学サッカー(Facebook)より転載)