どこにも属せない感覚-個性を持て


「才能のありか」

あなたの才能は、いったいどこにあるのだろうか?

僕はこれまで、漫画の取材で数百人もの「才能のカタマリ」のような人たちに直接会って話を聞き、才能の在所(ありか)を探ってきた。

その経験から見えてきたのは、
「才能というものは“どこにも属せない感覚”のなかにこそある」
という一つの結論だ。

学校にひとりも友人がいなかったという爆笑問題の太田光に大槻ケンヂ、そして「高校三年間で5分しかしゃべらなかった」というお笑い芸人のほっしゃん。
どんなギリギリの状況でも「YES」と言い続けるオノ・ヨーコに、「人の言うことは聞くな」と主張する五味太郎。
小学校のクリスマス会を「自主参加でいいですよね」と言って堂々とサボっていた井上雄彦に、24時間365日、魚のことばかり考えているさかなクン。

彼らはみんな、自分のなかの「どこにも属せない感覚」を信じ続けた、言うなれば“非属の才能”の持ち主だ。
少し別の言い方をすれば、「みんなと同じ」という価値観に染まらなかった人間とも言えるだろう。

彼らは、群れの掟(おきて)に従えば、人と違う自分だけの感覚、自分だけの才能がすり減ることを知っていた。
だから、どんなに疎外され、いじめられ、孤立しようとも、まわりにみんなに合わせるようなことはしなかったのだ。

僕たち日本人がどんな教育を受けているかといえば、どんな場面でも空気を読み、協調性を持つことがいちばん優先されるような教育だ。しかも、その多くは「協調」などではなく「同調」の圧力だろう。
「みんながそう言っている」という顔のないモンスターに逆らうと、とたんに仲間外れにされ、生きる場所を奪われる。

たしかに、みんなが右を向いているときに左をむくのは容易なことではない。
まわりが「だよねー」と連呼しているなか、ひとり「そうは思わない」などと言えば、いじめられたり、奇人変人だと煙たがれることは目に見えている。
だから、日本人は主張しない。

自分を押し殺す。
それでも、それなりに暮らせた時代はよかった。
経済はずっと右肩上がりだったし、群れてさえいればソコソコの幸せを感じることができた。
しかし、そういった「恵まれた時代」はついに過ぎ去ってしまった。
今や倒産やリストラは珍しいものではなく、格差や競争があたりまえの時代だ。
「どんなときも横並び」といった群れは淘汰(とうた)され、才能のない人間は退場を強いられてしまう。そんな時代に幸せに生きることができるのは、「みんなと同じ」といった楽を選ばす、自分の非属の部分に目を向け続けた人間だ。
(非属の才能 山田 玲司)


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